藤原 雄のつあーすたっふ日記    
     〜うる星やつらとの出合い〜
1981年当時、僕は少年ジャンプを読んでいたので、「うる星やつら」という作品の存在すら知らなかったのだが、その頃うちの姉がアニメをチェックしまくっていたので、その中に秋から始まる新番組の「うる星やつら」があった。
そして、当日19:30放送開始・・・・「なんだ?このアニメはめっちゃ面白いっ!!」と衝撃を受けた。
さっそく翌日、学校でクラスメートに単行本を借りて読んでみたら、これがまためちゃめちゃ面白い。
これだっ!と思い、読んでいた雑誌はジャンプからサンデーに変わり、単行本やレコードも買い集めた。
そして、単行本11巻は家からちょっと遠いのだが、発売日前日に出る本屋が西荻窪にあると聞き、そこまで自転車を飛ばして買いに走った。
この後で、地元に出来た「みよし書店」の常連になり、ここですべての書籍類を買うようになった。
おかげで展示されたあとの少年サンデーののぼり、ポスター、販促物のはがきなどをいただいたりもした。
そのように、どっぷりとハマった生活をしていたのだが、なんと1983年の春に劇場版公開が決定との情報が入ってきた。

     1983年うる星やつらフェスティバル

当時のアニメ雑誌には高田明美さん書き下ろしのピンナップなどがあったのでいろいろとチェックしていたところ、イベント情報の部分に劇場公開の前に試写会イベントがあると書いてあり、しかもチケットは有楽町のニッポン放送チケットセンターで発売中とあったので、次の土曜日、学校が終わった後で有楽町まで急いでチケットを買いにいった。
行く途中はもう売り切れるんじゃないかと心配で心配でかなりアセっていたが、夜の回だったが、無事チケットは入手できた。
2月4日、「うる星やつらオンリ−・ユー」のサントラ盤を買いにレコード店へ。
ホントは発売日は5日なのだが、前日に入荷する事はわかっていたので、急いで買って帰ってレコードからカセットテープに録音して聞きまくった。
そして2月6日、ヘッドホンステレオでサントラ盤を聞きながら、会場(千代田公会堂)のある九段下へ向かった。
会場に着いたらすでに入場が始まっていたので、そのまま入場した。
そして、開演・・・映画上映だけでなく、原作の高橋先生や声優のみなさんの挨拶や、歌手のみなさんのコンサートなどもう夢のようなひととき・・・・終演、興奮覚めやらぬまま帰宅した。

     1983年うる星やつらオンリ−・ユー劇場公開初日

当初、2月12日(土)に公開予定だったのだが前日の11日が祝日で休みだったので、公開が2月11日になった。
そして劇場公開前日の夜、僕は吉祥寺東宝の前にいた。
当時のアニメ関係のイベントや映画の初日はファンが徹夜で並ぶということが割と当たり前になっていて、それ自体はたいして珍しいことではなかったし、いくら試写会で観た映画とはいえやはりファンとしては初日に行かねばということで徹夜で並ぶことにした。
夜通しそこに並んでいた人たちとうる星談義に花を咲かせた。
そしていよいよ劇場版「うる星やつら オンリー・ユー」上映、試写会で観た作品なので、全部知っているのだが、エル星の牛丼屋のシーンなど、やはり大爆笑してしまう。
終了後、同時上映の作品は最初のほうを観たのだが、つまらなかったのでロビーに出てきてしまったが、入れ替え制じゃなかったので、二回目の上映を観てから帰宅した。
後日、映画のパンフレットで「うる星やつらファンクラブ」の会員募集広告を発見、すぐ入会手続きをし、4月から晴れてうる星やつらファンクラブの会員になった。

     〜映写機爆発事件〜
この頃、近くの映画館で「クラッシャー・ジョウ」と「オンリ−ユー」が上映されることになったので、友人と観に行った。
この日は最初に「クラッシャー・ジョウ」が上映されたのだが、映写機の向きが上にずれていて、画面の上の方が見えず、そしていきなり上映が中断したと思ったら映写機が爆発したとアナウンスが流れた。
この時点でこのまま観ないで帰るのなら入場料は返金しますと言われたが、やっぱりうる星やつらが観たかったので、そのまま残る事にした。
その後上映は再開されたが、まだ混乱が続いていたようでフィルムの順番がまちがっていて「クラッシャー・ジョウ」のほうはさっぱり内容がわからなかった。
そして、「オンリ−ユー」の上映、こちらは無事に上映されたので二回目の上映も観てから帰った。
後にこのエピソードをツアースタッフのリーダーに話したら、リーダーもこの時に観に来ていた事が判明、世間の狭さを感じたのである。

この頃には、ますます熱を帯びてハマり込み、修学旅行に行った先でもうる星やつらの放映時間が入浴時間にぶつかったので、うる星ファンの友人達と風呂をバックレてTVを観ていた。
この年の九月にあだち充原作の「みゆき」が実写映画として公開されたのだが、この同時上映がオンリ−・ユーだったので、当然のように観に行った。

     1984年うる星やつらファン大会

そんな生活を送っていた中、翌春にうる星やつらの映画二作目の公開が決定した。
さらに1月28、29日にうる星やつらファン大会があるとの情報をファンクラブの会報で知りさっそく28日のチケットを申し込んだ。
そして、1月28日会場である日本青年館に行き、列に並んでいたらなにやらチラシが配られた。
そこには映画の公開前に、横浜で先行公開イベントがあると書いてあったがさすがに高校受験の直前なので、それは参加できなかった。
そして、イベント開演、今回は劇場1作目の「うる星やつら オンリ−・ユー」のノーカット版の上映とコンサートなどが行われた。
このノーカット版と言うのは当初106分で製作されたのだが、劇場公開時に91分にカットされてしまったので、今回特別に上映されたのだった。
後にこのノーカット版はビデオ化され、またLDBOXでもノーカット版が収録された為、劇場公開された91分のカット版の方が珍しくなってしまった。

     1984年うる星やつら2 ビューティフュル・ドリーマー

そして、2月18日劇場版「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」が公開されたのだが、今回は高校受験の為、徹夜で並ぶということはなかった。
結局、この作品を観れたのは高校入試に合格した後のことだった。

     〜アルバイト〜
いよいよ高校生になり、アルバイトを始めて金銭的にも時間的にも自由が効くようになった。
この時のバイトも水曜日は部活のミーティングがあるからといって、絶対にシフトに入らなかった。
これはもちろん部活などではなく、19:30からのTVシリーズを観る為であった。
この当時はまだビデオデッキがある家も少なかったので、あとで観るなんてことはできなかったのだ。
この頃はTVの音声をカセットテープに録音して聞くのがせめてもの抵抗であった。
結局、アルバイトをしていたおかげでイベントなどに通ったり、グッズを買う事ができた。

     1984年うる星やつらファン大会サマーツアー

この時の東京公演は8月18、19日だったので、僕は18日の1回目の公演のチケットを申し込んだらなんと、前から2列目の席が取れた。
そして、その時も当然のように前日(8/17)の夜19:00くらいに日本青年館にいった。
着いてみれば、そこにはすでに2人来ていた。
一番に来ていた人はなんと前々日から並んでいたという。 さらにイベントはまだ始まっていないのになぜかすでにパンフレットも持っていた・・・ 話を聞いてみれば、その人はすでに東京の前にやった地方の公演をまわってきたとのこと、それならパンフレットを持っていても不思議はなかった。
そしてこの東京公演も2日間、4公演全部を観るらしい、驚きの連続だった。
そーなのだ、なにもイベントを観るのは1回じゃなくて何回観てもいいのだということに気がついた。
そして、夜があけて人も集まってきたので、一番に来ていた人が先頭を切って会場整理を始めたので、自分も少し手伝うことにした。
そして、開場、みんな我先にと会場の中へと入っていく・・・入ったみんなはグッズ販売コーナーで買い物をしていた。
今回のイベントはミュージカル風にまとめてあり、松谷祐子さんと、平野文さんの歌&ダンス、その後ろにヤングゼネレーションという4人組のダンサーがついていた。
このイベントでプロデューサーの落合茂一氏より劇場版の三作目が製作決定との発表があった。
そして1回目の公演が終わった、この時そのまま2日間残っていたかったが、友人と旅行の予定もあり、そうはできなかった・・・。
ちょっと会場に思いを残したまま帰宅した。

     1985年うる星やつら3リメンバー・マイ・ラブ公開初日

このパート3の公開は1月26日(土)で初日は学校があったので、土曜日の夜から渋谷で並ぶことにした。
この時、並んでいたら、2人くらいのおじさんが来て、今度渋谷の映画館で映画祭をやるんだけど、どうかなと意見を聞かれた。
後に渋谷でファンタスティック映画祭が開催され、これに「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」が出品され、高い評価を受けた。
まだこの当時は風営法が改正されるまえで、ゲームセンターが朝まで営業していたので、夜中に寒くなるとゲームセンターに避難して暖をとった。
そして、翌日やっとパート3を見る事が出来た。
もうとにかくEDテーマの「Remember My Love」で感動しまくった。
いまでも「Remember My Love」を聞くと夜中の渋谷を思い出したりします。

     1985年うる星やつらファン大会ステファニーツアー

翌1985年、秋、いよいよファン大会が開催されることになった。
今回は関東の公演は東京と横浜であり、それを全部チェックしてチケットも申し込んだ。 まずは10月1日横浜の公演、今回は徹夜はしないで、朝から会場にいったがだれも来ていなかった。
それもそのはずで、その日は都民の日であり、神奈川の学校はみんな授業があったのだ。
とにかくずっと待っていたがだれも来なかった。
そうこうしてるうちに、イベントの主催者の人たちが、来て準備を始めた。
僕も暇だったので、なぜか手伝うことになった。
そして、準備も終わり、あとは会場を待つだけとなったころ、前回最初に並んでいた人が仲間とともに到着した。
彼等は地方の公演からまわってきたので、こんな時間になってしまったらしい。
そして、開演、今回の目玉は映画「うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ」の主題歌を歌ったステファニーさんが来日して出演するとのこと。 すごく盛り上がって、この公演は終了した。

いよいよ10月9、10日は東京の日本青年館の公演である、これも当然のように8日の夜から徹夜で並んだ。
そして、地方公演をまわってきたメンバーと合流、彼等はツアースタッフと呼ばれる人たちで、主催者のうる星やつらファンクラブの人とも交流があり、各地でイベントのお手伝いをしているとのこと。
彼等といろいろな話で盛り上がり、完全に意気投合し、2日間行動を共にして、イベントの会場整理などを手伝うことになった。
この時のファン大会で、新井さとし氏とも会い、同い年だったこともあり、連絡を取り合うようになる。
そして、イベントが終了し、ツアースタッフのリーダーと連絡先を交換して、帰途についた。

     〜TVシリーズ終了決定〜
後日、ツアースタッフのリーダーから手紙が届いた・・・内容はイベントの手伝いのお礼とうる星やつらTVシリーズの終了が決定したこということが書いてあった。
たしかに人気も衰えてきてたし、マンネリ化もしてたので、そろそろかなという感じはあったけど、いざ終了決定と聞くとやはりショックだった。

     1986年うる星やつら4完成試写会

そして、年があけて1986年になった。
うる星やつらファンクラブが「うる星やつら4ラム・ザ・フォーエバー」の試写会を会員向けに開いてくれることになった。
東京は2月1、2日で開催だったので、1日(土)の1回目に学校が終わってからいくことにした。
会場についてみると、そこではツアースタッフのメンバーがアンケートを取っていたので合流した。
今回は松永夏代子さんが初参加で、主題歌の「メランコリーの軌跡」を歌ってくれた。
なかなか雰囲気のある曲で、みんな聞き入っていた。
本来招待の試写会なので、一人1回なのだが、会場整理などのお手伝いをすることで東京の4回の公演全部に入れてもらえることになり、その日は夜の部が終わってから、1回帰宅して、もう1回徹夜で来ることになった。
だが残念ながらバイトの予定があり、日曜日の2回目の公演は途中で抜けなければならなかった。

     1986年うる星やつら4劇場公開初日

「うる星やつら4ラム・ザ・フォーエバー」公開初日、試写会の時ににツアースタッフのメンバーは劇場公開初日は前日から銀座で徹夜することを聞いていたので、銀座に並ぶことにした。
公開前日の夜、映画館に到着、ツアースタッフのメンバーと合流し、徹夜でならんだ。
当日朝、ちょっとした事件が起きた。 銀座の地下鉄駅構内に展示してあったうる星やつら4の宣伝用のフィルムポスターが並んでいたファンのひとりに盗まれた。
これにより、上映も危ぶまれたが、フィルムポスターが回収され、ことなきを得た。
この頃から、そういう危険なファンが目立つようになってきた。
ともかくも無事映画は上映された。
そして、映画を観た後、ツアースタッフの人たちと一緒に食事をして、その時に3月にある、ファン大会ファイナルツアーの行動予定を聞いた。
それによると、やはりツアースタッフのメンバーは全国、全公演まわる予定らしい。
家に帰る頃には僕も行くつもりになっていた。
だがさすがに全国は無理なので、大阪、京都、東京の公演を観に行くつもりでいた。

     1986年うる星やつらファン大会ファイナルツアー

そして、3月19日うる星やつらTVシリーズが第218話をもって終了した。
そんな中で、いよいよ最後の祭り、「うる星やつらファン大会ファイナルツアー」がスタートした。
この日の夜行電車でツアースタッフのメンバーは出発した。
僕はまだ学校が春休みに入っていなかったので、後から行く事にした。
この時のファン大会は3月21日が福岡、22日が広島で公演があり、23日が大阪の公演だった。

僕は春休みになり、21日の夜、東京駅から大垣行きの夜行電車に乗った。
今回初めて大阪に行くのでいまひとつ勝手がつかめないが、とにかくツアースタッフの行動予定表はもらっていたので、それを見ると他のメンバーが大阪につくのは当日になってからのようだ。
今回は青春18切符をつかって移動するので、旅費そのものは安くすんだ。
翌朝、10:30頃に大阪到着、しかし大阪の地理が全く分からないので駅で会場のある万博公園を探す・・・見つけた、最寄り駅は茨木駅らしい。
まあ、それがわかったのでとりあえず、大阪城に観光に行くことにする。
大阪城の天守閣に登ってみたら、なんと中学の時のクラスメートに会った。
彼は修学旅行で大阪城に来ていたらしい、そこで彼に自分がなんでここにいるか聞かれたので、正直に「ファン大会で来たんだよ〜〜」といったら呆れられた。
その後、万博公園に行ってみたが、事前に聞いていたが、やはり徹夜はできないらしい。 とにかく場所も確認したので、とりあえず、大阪駅の方に引き返し、結局24時間営業の喫茶店で朝を待った。

23日 朝、万博ホールに到着、残念ながら雨。 そして、待っていると会場に主催者が到着した。 何人か顔を知っている人がいたが、声をかけずにツアースタッフが来るのを待つことにした。
しばらくして、ツアースタッフのメンバーも到着、合流し行動を共にする。
この大阪公演ではファンが舞台に流れ込むという事件が起きた。
これはひとりのファンが強引に舞台にあがったので、それにつられて他のファンも一気に舞台へ駆け上がった。
ともかく主催者のスタッフとツアースタッフのメンバーが上がってきたファンを下に誘導する・・しばらくして、暴動は終わり、なんとか公演が終了した。
この事件も結局最初の一人がきれちゃったからなのだが、みんなうる星やつらの終了ということで熱くなっていたから暴動状態にまでなったんだと思う。
会場から駅に向かうタクシーの運転手さんに東京から来たと話すと、なんか東京は大雪で大変な事になっていると教えてくれた。

翌日24日は京都で公演があるので、その夜は京都駅で一泊することになった・・・最初は京都駅の外かなにかで時間を潰すつもりだったが、さっき聞いたとおり東京が大雪で電車が運休しているので、駅の団体待ち合い室が解放されたので、ぼくらはなんとか暖房の
きいた部屋で寝られることになった。
24日朝、会場に到着、この会場は人を並べる場所がないので、会場整理に苦労したが、 なんとか開演、無事進行するが、今日は昨日の暴動を知っている客が多いので、最後の部分でまた暴動が起こらないようにとツアースタッフも最前列脇の通路に待機する。
結局この警備体制はここだけでなく、他の会場でもやることになるのだが・・・みんなが注意した甲斐もあり、なんとか無事に終了した。

京都終了後、ツアースタッフ一行はまた鈍行電車で米子に向かう予定で当日はぎりぎりにならないと会場につけなかったのだが、主催者の社長から向こうで手が足りないので手伝ってほしいとのことで、大道具などを搬送する2台のトラックの荷台に便乗して行くことになった。
これはもちろんぼくらの交通費などを心配してくれた社長の好意なのである。
トラックの助手席も開いていたので、交代でそこに乗ることにした。
そして出発、しばらくは何ごともなかったが、 ちょうど僕が荷台にいた時になんか車がすごい揺れた・・・みんな寝ていたのだが、起きてしまった。 そとから「大丈夫か〜〜?」と聞かれて、何ごとかと思ったら、道が凍結していてトラックがスピンしたらしい。
まあ、特に何もなかったのでまた走り出す・・・そうこうしているうちに朝になり、米子の会場に到着した。
この米子公演でもセットの組み立てや物販の準備等を手伝い、無事イベントも開催された。 そして、後片付けを手伝い、またセットなどをバラしてトラックに積み込んだ。 結局、僕らはトラックの運転手さんと仲良くなり、また東京まで乗せてもらうことになった。
夜通し高速道路を走り、途中、大阪と名古屋でツアースタッフのメンバーをおろしながら、東京をめざした。その間リーダーともう一人が普通免許を持っていたので、トラック(4t)の運転を交代しながら横浜まで帰ってきた。
横浜にトラックの駐車場があるのでそこで運転手さんたちと別れた。
まだ早朝だったので、時間潰しにうる星やつらのアフレコが行われたニュージャパンスタジオに行き、そこの前で記念撮影をした。 その後で、お世話になったうる星やつらファンクラブ事務局の人たちに挨拶に行った。 そこで挨拶をしたあと、とりあえず解散になり、みんなとは数日間のお別れになった。

そして、3月29、30日が東京公演で前日、いつものようにみんな日本青年館に集まってきた。
さすが東京、徹夜の人数も他とちがって大勢いる。
みんな待っている間もかなり熱くなっている・・・・やはりみんな最後に完全燃焼したいのだろう。
朝、また主催者の人たちが到着、ツアースタッフのメンバーもまたいつものように手伝う。 まずは搬入からはじまって、舞台にリノリュームといわれる、ゴムの敷物をしいていく。
その後、セットの設営を手伝い、それが終わると、舞台の方は手がいらなくなるので、ロビーに出てポスターを巻いたり、物販コーナーを作るのを手伝ったりした。
それも終わるとそろそろ外の会場整理の方も忙しくなってきていたのでそっちにまわった。 そしていよいよ開演、この時のイベントはまさに集大成といったかんじで、歌あり、声優さんのトークあり、フィルム上映ありですごく盛り上がった。
そして「星のメモリー」が流れる・・これで最後なのだとみんなが噛み締めた瞬間である。 でも、まだ終わらない・・・・・・・アンコール・・会場にいたすべてのみんなが大声で叫んでいた。
だが、まだ翌日も公演があるのだ、まだ燃焼しきれていない人たちが徹夜している人に翌日の分のあまっているチケットはないか?と聞いてまわっていた。
そして、その異常な盛り上がりの中で2日目が始まった・・・ 1回目もすごかったが、やはり東京最後の公演になる2回目はもうみんな最初っから全開で盛り上がっていった。 そして、フィナーレ・・・鳴り止まないアンコール、そして最後にもう1回「アリガト」をみんなで大合唱して東京公演は終わった・・・はずであったが、あまりの盛り上がりに予定では最後だった名古屋公演の翌日、東京で追加公演が行われることになった。 そして、数日の間をおいてファン大会は一路、北へ向かう。

4月に入り、5日が仙台公演、ここが僕にとって今回のファン大会最後の公演になるのだ。 当初の予定では仙台までは行けなかったの
だが、大阪にいった時にトラックで移動した分、18切符があまったのと、東京の追加公演が修学旅行のため参加できないのが悔やまれたので仙台までいくことになった。
4日の昼過ぎ、上野駅でツアースタッフは集合して一緒に仙台へ向かった。
そして、普通電車を乗り継いで、仙台に到着、会場へ向かった。
4月とはいえ、さすがに仙台の夜は寒かったので、徹夜はけっこう辛かったが、けっこう人数がいたので、なんとか朝までがんばった。
朝が来て、いつものように会場整理や搬入等のお手伝いをして、開演を待った。 これが最後・・・ぼくはコール掛けにも熱が入った。
そして、終了・・・・・これでぼくの祭りはおわったのである。 また会場の後片付け等を手伝い、それから夜はどこかで時間を潰して、翌日帰るつもりでいたが、次の会場である、札幌は会場が小さくセットを全部使わないので、2台でまわっていたトラックの1
台はここから東京に帰ることになっていたので、またそれに便乗させてもらうことになった。
他のツアースタッフのメンバーも札幌行きのトラックに便乗していくとのこと、彼等の健闘を祈りつつ、帰りのトラックに乗り、6日早朝東京帰着、これでぼくのファン大会ファイナルツアーは終わった。

僕は参加できなかったが、この後ファン大会は4月6日に札幌、間をおいて4月12日に名古屋、翌13日本当に最後の公演となる東京の追加公演となった。

これが僕のツアースタッフ参加への経歴であり、この後もツアースタッフとして積極的にイベントに参加していくことになった・・・・・・         Fin


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